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zoom RSS 義務付けられた勝利と葛藤【浦和レッズ】オジェックの逆襲(第2話)

<<   作成日時 : 2008/01/08 22:16   >>

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(前項からの続き)
なぜ、オジェックサッカーは焼き畑と呼ばれるのでしょうか。
また、なぜチームが焼き畑のようになっても、
メンバーを固定して闘わなければならなかったのでしょうか?

第2話 義務づけられた勝利との葛藤
焼き畑と呼ばれるようになったのは、
カナダ代表監督時代の成績にさかのぼります。
オジェックが監督をやっていたのは、1998年〜2003年でした。
任期中の成績で特筆すべきは、2000年のGOLDCUP優勝。
FIFAランキングはその2000年の63位が最高でした。
その年の成績だけをとらえて、
「カナダ代表監督で成功した」オジェックって言い方をする人がいます。
しかしよく調べると、
オジェック就任以前の3年間(1995−1997)で、
カナダは1996年に最高の40位を記録し、3年平均のFIFAランキングは53位。
1998年からのオジェック就任中は63位が最高位ですから、
オジェックの就任期間中にカナダは弱くなっています。
そしてオジェックの退任後、
カナダが元のランクに戻すまでに3年かかったという事実。
「オジェックがカナダ代表を焼き尽くした(オジェックショック)」
と言われてもしかたないのです。

しかし、これは昔の話。
また代表監督とクラブチームは全然違います。
浦和にとって、オジェックは、
まったく「アマチュア」と替わらなかったチームに「ディシプリン(規律)」を持ち込み、
Jの上位に引き上げた功労者です。
またカナダ代表監督を辞めた後、
FIFA技術委員として世界のサッカーを見て回りました。
浦和のフロントもその成果に期待したことでしょう。
確かに守備一辺倒だった当時と比べても、
オジェックは変わっており、
ギドの守備的でカウンター主体のサッカーではなく、
世界に通用する新生浦和のサッカーを見せてくれるはずでした。

しかし結局はそうはなりませんでした。

2007当初、オジェックは4バックを目指しました。
しかしギリギリのところで勝てない試合が続くと3バックに戻しました。
問題はこの3バックに戻した行為が選手間の相談によってなされたこと。
オジェックの理想とする「ディシプリン(規律)」とはかけ離れた行動です。
しかし勝利という結果の前で、オジェックはそれを許さざるを得ませんでした。
以後、どんな相手にも3バックで挑むようになりました。
3バックは基本的にオジェックが目指した戦術ではありません。
FIFAの技術委員として培った理想は、
4バックから確実にパスをつないでいくサッカーでした。

3バックに慣れた選手は4バックでは思うように動いてくれず、
しかしチーム事情として負けが許されない状態では、
3バックは苦渋の(現実的な)選択だったのでしょう。
しかしディシプリンのない変更によって選手との溝は徐々に深くなって行きました。

そしてオジェックの「負けることが許されない」プレッシャーは、
試合に望んでの指示でも明らかでした。
長谷部に対して「あまりドリブルで持ち上がるな」
啓太に対して「あまりシュートを打つな」
闘莉王に対して「セットプレー以外での上がりは控えろ」
相手のカウンターを恐れるあまり、
冒険もギャンブルもアイディアもありません。
選手の自主性を無視した指示。
明確なのは、3人で攻め、残りで守る役割分担のしっかりとしたサッカー。
とてもチャンピオンチームのサッカーとは言えない手堅さ。
ACLを勝ち抜くには必要な手堅さでもあったのでしょう。
しかし、複数の選手がその堅実さを嫌悪しており、
自主性を主張するあまり、
造反という形でそれが表面化したことも事実です。
また目の肥えたサポーターからは
「今の浦和はつまらない」という批判すら出てくるようになっていました。

もうひとつ、オジェックの迷走を示すエピソードがあります。

オジェックは「調子のいい選手を使う」とよく言っていました。
しかし出てくる選手は同じ選手ばかり。
明らかに疲労困憊した選手、
怪我の状態が良くない選手でも使い続けました。
アウェー新潟戦のように疲労困憊した選手が、
相手についていけなくなっていても、
選手交代をしないまま、同点においつかれたこともあります。

しかしオジェックも最初は違っていました。
2007当初、長谷部がコンディション作りに失敗し、
怪我でブルズカップに帯同できなかったとき、
「若い選手の将来を摘む訳にはいかない」
とその理由を語っていました。

そのオジェックがリーグ戦も押し詰まった頃には、
「若い選手は48時間で回復する」とまで言うのですから、
その間にせっぱ詰まるものがあったと考えるのが普通です。

ただ誤解がないようにはっきり言っておきましょう。
オジェクといえども、
好きこのんで怪我人を使い続けたわけではない。
これは確かです。

ではなぜメンバーを固定し、堅実なサッカーをしなければならなかったか。

それは浦和の宿命となった「義務づけられた勝利」にあるでしょう。
すなわちフロントもサポーターも望む「勝利至上主義」とも言えます。
そして、それに全力をあげて応えようとする選手たち。
時として個人プレーに走ってでもなんとか打開しようとする闘争心。
かつて「ど」がつくほどへたくそなチームに、
厳格な「ディシプリン(規律)」でプロとしての考え方をすり込んだオジェックでしたが、
今のレッズは一度Jリーグを制したことで、
チーム(フロントや選手)にもサポーターにも、
チャンピオンとしてのプライドが生まれました。
その結果、浦和には負けることが許されないプレッシャーがついて回りました。
そのため4バックから組織的にパスをつなぐサッカーを目指していたはずが、
いつのまにかカウンターサッカーに変わってしまい、
冒険を恐れてメンバー交代が出来なくなってしまいました。
若手を使って負けたときに、失うものは大きすぎます。
オジェックは理想と現実の狭間で、
ディシプリンを基調とした自身のサッカーを見失い、
無間地獄のような状態に落ちていったんだと思います。

もちろんA3なども含めた過密日程がそれに拍車をかけたのも事実です。

(つづく)

内容の真偽は個々の判断にお任せします。
すべて妄想かもしれません、
すべて真実かもしれません

オジェックの逆襲
第1話 焼き畑式サッカーに明日はあるか?
第2話 義務付けられた勝利と葛藤
第3話 足りないピースを埋めろ!
第4話 すべてを獲るために!

この本はすべて真実です(笑)
闘莉王―赤き魂のサムライ
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
全て確証のない妄想みたいで安心しました。次回の小説も楽しみにしてます。
kei
2008/01/08 22:50
Keiさん、そうそう、そういうスタンスで目くじら立てずに読んで下さい。
いかにももっともらしく書いてはいますけど、オヤジの妄想ですから(笑)
妖星
2008/01/09 21:49

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